顕正会脱会相談窓口

顕正会は不幸の因を積む魔道修行の場

この点はとても重要です。
つまり時間の無駄、労力の無駄、お金の無駄です。

それだけならば「趣味」と考えて時間を費やすのもいいでしょう。
しかしながら、顕正会の信仰は、不幸の原因となる仏法上の罪過を積む行為ですから、私たちは強く戒めたいと思います。
それは、誤った仏法を実践してしまうことで、あなたも家族も友人も。皆不幸になっていく最悪の行いなのです。

浅井昭衛教祖への忠誠心

浅井教祖は、言う事がコロコロ変わることで有名です。
ところが、顕正会の機関紙『顕正新聞』には、毎号毎号浅井「先生」に対する賛美があふれんばかりに並べ立てられています。

浅井先生とは、稀代の大予言者、濁世の救世主のごとく崇められている、新興宗教団体顕正会の教祖様です。
ところがその教祖先生の実態は、「大予言」が的中した回数はゼロ(予言でもなんでもない!)、指導説教の内容は、その歴史観には共感できる面があるものの、実効性もなく仏法ともほとんど関係ない、自身の妄想に過ぎません。

浅井教祖の”一回も当たらない大予言”には、当たらなかった後の台本も用意されていて、「浅井先生の祈りによって世紀の大災厄は回避されました」ということになってきます。
まったく笑い話にもなりません。
だったら「災厄回避」を予言しなければ「予言」とは言えないわけで、そもそも「予言」なんてしないで黙っていても何の問題もないではありませんか。
まともな判断力の持ち主なら、こんなシナリオなら小さな子供でも作れるということに気づくはずです。

そもそも、日蓮正宗では、今の日本は謗法にまみれているからいついかなる災厄が起こっても不思議はない、だから一日も早く広宣流布をと、ちゃんと大聖人のお示しのとおりに信行に励んでいます。

当たらない予言を思いつきでしゃべり、自分で適当に考えついたことを話すだけなら、あなたにだって今日からできることです。
にもかかわらす、そんな実のない邪師に忠誠を強いられ、盲信の徒と化しているのが顕正会の会員さんたちなのです。

邪義「国立戒壇」論

浅井教祖が拘泥する「国立戒壇論」は、もともとは明治時代に用いられた論旨で、勅許(天皇の許可)によって戒壇を建立すべしというものです。
天皇主権の時代背景もあいまって、日蓮門下全般に広がり、日蓮正宗でも便宜上用いることがありました。

しかるに現代に至って憲法に主権在民、信教の自由が謳われるようになり、もともと当宗の伝統教義には無い義であるため、大聖人の御心を継ぐ人たちが、その自由意志と責任において建立することが最も妥当であるという考えに、僧俗ともどもに至っているわけです。

ところが浅井教祖は、「国立戒壇でなければ大聖人の御遺命に反する大謗法」と真っ赤なウソを仕立て上げ、蒙昧な信者を騙し続けています。
ところが前述のとおり、大聖人の御遺命などではなく、明治の昔に、天皇陛下のお墨付きを得なければ都合が良くないという考えが生まれたに過ぎません。
要するに信教は自由ではなく、仏本神迹を唱える日蓮門下の教義は認められていなかったことに対する臨時の方便だったわけで、現在は必要ない考えなのです。

そもそも、天皇が主権統治権を失った現在、「国立」となれば文化庁あたりの管轄に入ることになりますが、信心をしていないお役人に大御本尊を管理させるなど、それこそが御遺命に反する謗法懈怠行為となるでしょう。

第二十六世日寛上人は、「一大秘法とは即ち本門の本尊なり。此の本尊所住の処本門の戒壇と為し(六巻抄)」と仰せになっています。
つまり、本門の本尊おわします場所がすなわち本門の戒壇です。
現在富士大石寺の奉安堂が本門の戒壇であり、そこで唱える題目が本門の題目になるわけです。
何の矛盾も問題もありません。

問題がある、つまり都合が悪いのは浅井教祖だけです。
そもそも、大御本尊を拝むこともできなくなった浅井らが、どこぞに「国立戒壇」とやらを建立したとして、本門の本尊をどうやって、いかなる権利資格によってお迎えしようと言うのでしょうか。
文部科学省とて首をひねるばかりで、よもや大石寺から大御本尊を移動させてよいなどと言うわけがありません。

こんな愚にもつかない妄言を信じている信者も信者です。
大人の判断力を持ちましょう。

謬説「天母山戒壇」

天母山とは、大石寺の東方約4kmにある狭小な地で、この場所に戒壇を建立するという論旨は、江戸時代に言われはじめた教義的根拠の無い妄説です。

浅井教祖は、戒壇はこの天母山に建てることが宗開両祖の御遺命であると吹聴していますが、日興上人は「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり(日興跡条々事)」と仰せになっています。
つまり日目上人以下時の御法主が大石寺を管理しながら広宣流布を待ちなさいとの仰せですから、大御本尊おわします大石寺に戒壇が建立されるべきことは道理から明白です。

そもそも、国立戒壇にせよ天母山戒壇にせよ、まったく教義的な根拠を見出すことのできない浅井の勝手な言い分であり、それは現在の大石寺に対する私的な敵対心から来るものに過ぎません。
会員さんたちを幸せに導こう、正しい道へ教導しようなどという心は、浅井教祖にはかけらもありません。

天母山という所は、現在は火葬場やゴミ焼却場、温泉施設などがある狭い土地で、こんな場所に広宣流布の暁に戒壇など建てたところで、1,000人も参拝できないちっぽけなものとなってしまうことでしょう。
顕正会員さんたちは、一度実際に足を運んで、こういう現実をしっかり目を開いて見て、判断すべきではないでしょうか。

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